茶志内を歩く【3】
2015.10.24 撮影
【2】の最後の写真と同じおうちです。
栗の木がそばに植えられていました。栗。たわわ。
丁度玄関が草とツルに埋もれて見えないですが、手前に張り出してる部分が玄関のようです。
別の炭鉱住宅ですが…
さらにもっと偉い人のお家だったらしい。
どのくらいすごいかって…内風呂があるんだよ!
昔の住宅にお風呂がないのは普通の話ですが、ここは内風呂があり、バスタブも何だかおしゃれ。屋根の部分は完全に崩壊していしまっていますが…。
お風呂がある住宅…それだけでここにお偉いさんがお住いだったのだろうというのは想像ができます。
玄関らしい。これまたおしゃれだ…。
お家の基礎(?)の方にもレンガがあしらわれて…。
炭鉱があった当時、日東(今回まち歩きをした場所です)に住んでいてこの辺りに詳しい方に話を聞きながらのまち歩きでした。面白かったー。
2015.10.24 撮影
■炭鉱で栄えた日東地区
昭和12年に日東美唄炭鉱が開鉱。昭和14年当時には日東美唄炭鉱住宅街として栄えました。 日東地区と茶志内地区を結ぶ三菱鉱業の専用鉄道(約2㎞)も開通し、商店街や飲食店も立ちならぶ街となりました。
昭和42年の炭鉱閉山後は人口が急激に減少し、住宅街は姿を消し、緩やかな煙をあげていたズリ山もすでにありません。
最近までこのズリ山は小学生や中学生の格好の遊び場となっていて、冬にはソリやスキーなどをする姿が見られたものでした。